冷戦の流れをまとめてみた。 世界は崩壊寸前だった!? その1 冷戦突入〰緊張緩和
どうもこんにちは。
ミニマリスト....冷戦専門おじさんゴリラです。
今回は、
誰でもわかる冷戦
ということで紹介いたします。
写真はすべてwikipediaより引用しています。
冷戦突入
第二次世界大戦(おおきなせんそう)
が終わった後、(1945年〜1989年)アメリカ
を中心にした
*1:西側の資本主義国
とソ連
(今のロシア)を中心にした
*2:東側の社会主義国
が対立したことを冷戦といいます。
資本主義とは資本主義は一切全てを商品化していく「市場システム」であり、諸々の近代国家に蓄積させ競合させる「世界システム」だとされる。wikipedia参照。
社会主義とは平等で公正な社会を目指す思想、運動、体制。wikipedia参照。
1945年第二次世界大戦でアメリカは本土を攻撃されることがありませんでした。
しかしソ連はドイツなどに本土へ侵攻され工場などが破壊され大打撃を受けました。
そしてソ連の最高指導者である
ヨシフ・スターリン
は、経済を再建させるために東ヨーロッパ諸国と新世界を築くことを考えました。
ソ連は軍事力でポーランド、ハンガリー、チェコスロバキアなどを社会主義国にしていきました。
1946年、社会主義国拡大の動きを見てイギリスの
チャーチル首相
はアメリカのフルトン大学で
「シュチェチンからトリエステまで“鉄のカーテン”が下ろされている。」
と演説の中で言い、社会主義国を非難しました。
1947年3月、
アメリカ第33代大統領トルーマン
は、アメリカ議会で、
「ギリシャやトルコをはじめ、社会主義国と戦う全ての国を援助する。」
と宣言しました。
この宣言のことをトルーマン宣言と言います。
1947年6月、
アメリカのマーシャル国務長官
は、ハーバード大学で演説を行い、西ヨーロッパ諸国に経済援助を行うと発表しました。
これをマーシャルプランと言います。
1947年10月、資本主義国のこの動きを見たソ連は、東ヨーロッパ7カ国とコミンフォルム(共産党情報局)を設立し、結束力を高めました。
そして1948年6月、ドイツは冷戦の影響で西ドイツと東ドイツで分割されました。
1949年1月、ソ連はマーシャルプランに対抗してコメコン(経済相互援助会議)を設立し、東ヨーロッパ諸国に経済援助を行うようになりました。
1949年4月、アメリカはソ連の軍事力に対抗するために西側12カ国とNATO(北大西洋条約機構)を結成しました。
1949年10月、ソ連の支持する(社会主義側)
毛沢東
が中華人民共和国を成立させ、アメリカが支持していた蒋介石は台湾へ逃げました。
中国は社会主義国として成立しました。
1950年、朝鮮戦争が勃発
この時
アメリカは大韓民国側(韓国)
ソ連は朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)
韓国と北朝鮮はアメリカとソ連、資本主義国と社会主義国の代理として戦争をしていました。
このことから代理戦争とも呼ばれます。
1951年、日本はサンフランシスコ平和条約により、独立し、資本主義国(西側)の一員となりました。
当時の首相は吉田茂です。
沖縄はまだこのときには返還されていません。実際に返還されたのは1972年になります。
1959年、アメリカの下、メキシコの右にあるキューバは、
ソ連の支援でカストロ
の下、社会主義国となった。(キューバ革命)
チェ・ゲバラも有名ですね。
1961年、社会主義側である
東ドイツにより、ベルリンの壁
が設立されました。
東側から西側へ逃げ出す人が多かったため、壁を作り逃げ出せないようにしました。
1962年、ソ連がキューバに核兵器を船で持ち込もうとして、
当時の大統領、35代ケネディ
が「核兵器をキューバにもっていくのをやめないなら、ソ連に核攻撃するぞ!」
と言って核戦争が始まるか始まらないかの瀬戸際でした。
そして非公開の交渉などがいくらかあって、ソ連はキューバに核兵器を持ち込むのをやめました。
このことをキューバ危機といいます。
1963年、キューバ危機の回避を機に、ホワイトハウスとクレムリンの間にホットライン(直接通話)が結ばれました。
1954年、ジュネーブ会議を境に、世界は塀は共存に向かい、中国の周恩来とインドのネルー会談で平和5原則が発表されました。
翌年1955年4月には、インドネシアのバンドンでアジア・アフリカ会議が開かれ、平和10原則が発表されました。
同年7月、アメリカ、イギリス、フランス、ソ連の首脳がジュネーブに集まり、平和共存を話し合うためにジュネーブ4巨頭会議を開いた。
1960年の国連総会では、植民地独立付与宣言が発表され、アジア・アフリカでは独立運動が活発になりこの年17カ国が独立しました。
1961年にはユーゴスラビアのベオグラードで、チトー大統領の下第一回非同盟諸国首脳会議が開かれた。
非同盟主義とは、 アメリカの立場でもソ連の立場でもないという考えです。
独立国や非同盟諸国はアメリカ、ソ連に属さない第3世界を形成しアメリカ、ソ連の緊張緩和に貢献しました。